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徳源院 (古河市) : ミニ英和和英辞書
徳源院 (古河市)[とくげんいん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
古河 : [ふるかわ]
 (n) old river
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [し]
  1. (n-suf) city 

徳源院 (古河市) : ウィキペディア日本語版
徳源院 (古河市)[とくげんいん]

徳源院(とくげんいん)は、茨城県古河市鴻巣にあった臨済宗の寺院。鎌倉円覚寺の末寺。山号を興王山、院号を徳源院という〔『古河市史 資料 別巻』 296-298頁(古河志・徳源院)〕。明治初期に廃寺。現在は古河総合公園の中に跡地が残されている。〔『古河市史 通史編』 195-196頁(徳源院)〕古河公方ゆかりの寺院。
==歴史==
江戸時代後期に書かれた『古河志』〔・『許我志』〔『古河市史 資料 別巻』 526頁(許我誌・徳源院)〕では、天正10年(1582年)に逝去した〔三島暦の天正10年閏12月20日。京暦では天正11年になる〕第五代古河公方足利義氏開基とされている。これは当院過去帳の付記にて、かつての寺名は義氏の法号「香雲院」とされていることが根拠と考えられるが、他の史料による裏付けがない。〔山口美男 「古河公方「三ヵ院」変遷の考察」 『古河市史研究』 第2号、1977年、古河市、54-68頁〕 〔
一方、『円覚寺史』〔玉村竹二・井上禅定『円覚寺史』春秋社、1964年 (第五章第四節「黄梅院末派の発展」)〕 掲載の末寺帳や鎌倉東慶寺の文書から、当初は第三代足利高基正室の法号「瑞雲院」と称し、次に第四代足利晴氏正室の「芳春院」、最後に第五代足利義氏の娘・氏姫の「徳源院」と改められたとも考えられており〔 〔山口美男 「補足 古河公方「三ヵ院」の前身について」 『古河市史研究』 第5号、1980年、古河市、44-49頁〕、この場合はさらに時代を遡る。公方家代々の女性にゆかりが深い寺院であるとも言える。〔
本院は永仙院 松月院とともに、古河の「足利開基三ヵ院」と称されていたという(『古河志』)〔。江戸時代後期は、他の三ヵ院同様に無住持の状態が続き、明治4年には廃寺となって、栃木市藤岡町蛭沼・山王寺に合併された〔市内長谷町一向寺所蔵の『山王寺什具取調帳』より〕 〔 。跡地は、現在の古河総合公園の中にあり、茨城県指定文化財(史跡)とされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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